取材記事


『ひだびと。』

            

 

             「飛騨の人を通じて、飛騨の魅力を再発見するファンブック」

 

                 というコンセプトで作られるフリーペーパー。

          2012年夏秋号「この人に聞く」というコーナーの取材を受けた際の記事です。


                     僕のじいちゃん(創業者)は高山が景気良かった時代の神岡生まれ。

                    戦争で名古屋へ行って、地元に戻ってきた人なんです。

                   飛騨で400年も続く伝統のあるものなら、

                   食いっぱぐれがないだろうと春慶塗を始めました。

                   その後、箸を作ってほしいという依頼をいただき、

                   うちで春慶塗の塗り箸を作るようになったようです。

                     全国でも木地から仕上げて作っているのは3件ほどだと聞いています。

 

何人くらいで仕上げられているんですか?

木地から加工、塗りまで4人でやっています。塗りは僕ひとりで。

だから祭り前はほとんど寝られない状態です(笑)

 

はじめからこの仕事に就かれましたか?

僕は小さい頃から「お前はここの跡継ぎや」って育てられたもんで、高校も工業高校の機械科へ。

経理もやっとかな。って専門学校に通うことに。

その頃、外国で木地を作らせてた会社も多く、グローバル社会やで英語も喋れんといかんし、

外国に繋がりを持つのも大事やという理由で、ワーキングホリデーでオーストラリアにも行きました。

21歳からはずっとここで働いていますが、

26歳の時にうちの母が亡くなり、その後父も倒れたりして、

いよいよ自分が切り盛りせざる得なくなって今に至ります。

海外から帰ってきた時は、既にバブルが崩壊して売り上げもガクンと下がり、

会社の経営がもうエラかった(厳しい)んですよ。

経営の効率を上げる為には、1日の生産量を増やすこと。人件費をかけないために、自分でコツコツ機械を手作りして。

 

え!?機械は手作りですか?

はい。同世代のみんなが遊んどる時に地道に大小20台は作りました。

外国産の箸と対抗するには、どうしても単価をさげなならんもんで、自分で作りました。

 

それは驚きですね。しかし春慶にしても木地物にしても、

伝統工芸という看板で値段をつけているだけでは、簡単に売れない時代だと思います。

塗り箸を使う機械を増やさないと。使う人がいなければ続ける意味がない。

僕もそう思っています。

伝統工芸品って指定を受けると、作り方とかも指定されてしまう。

すると1日にできる量も減るから単価も上がるんですよね。

ある程度機械化にして、一般の人が買いやすい値段にしていくのが普通なのかなっていうのが、僕の感覚なんですけどね。

一位一刀彫も同じで。

一位ってつくと伝統工芸品になるんですよ。

一刀彫に違いなくても、違うもので作ると伝統工芸品ではなくなるんで、そこが難しいようです。

僕はそういうのにとらわれずにやっているから、それに合う機械を自分で製作するしかないんです。

     

      一位と言えば、いま飛騨には伐採できる木が無いと聞きます。

    そうみたいです。山には木自体は生えているんですが、切らせない。

使えるほど十分に生育した木が、もう飛騨には無くて、北海道とか、寒い地域に頼っているのが現状だとか。

 

    何年か前に植えて育てている最中で、今は取れないということですか?

         いえ、一位の木はすごく成長が遅い木で、

    300年くらい経たないと木材として使えるほどの太さにならない。

          今から植林しても追いつかないんです。

だから、銘木と言われる材料は入手困難で、値段も上がってきているのが現状です。

この辺に生えている木は、ほとんど杉ばかりなので、杉を切らないと、他のいろいろな木に植え替えができないんですよ。

 

じゃあ、伐採を進めていくべきは、杉ということですね。

飛騨産業さんが杉の圧縮材を実用化、さまざまなプロダクトへの利用を試みています。

箸を作ることも始めたようですが、箸作りの立場からどう思われますか?

まさに飛騨産業さんから依頼されて、杉圧縮材の箸はお手伝いさせていただいています。

自分の塗り箸には、残念ながらまだ杉を使っていません。

取り扱っている塗り箸は、すべて国産材、中でもヒノキは100%岐阜県産材を使っています。

前は米ヒバという外来材を使っていたんですが、4,5年前に材木商さんが辞められたのを機に、

地元の木を使えば森が育つかなと思ったのと、地産地消を考えて。

そこから岐阜県産ヒノキを使うことにこだわっています。

 

塗り箸に国産材を、と考えられたキッカケは何ですか?

世界の木材の消費量の1/4を日本が使っていて、

1秒間にサッカー場2面分のスピードで森が消えていってると、ある講演会で聞きまして。

これは恐ろしいことやなと。

世界のためにもならんやろと。

森林の分布を見ても、1世紀でものすごい量の森林が減っているんですよね。

そういうことが大きなキッカケになりました。

うちの会社でも以前はインドネシアの木地屋とかを使って塗り箸を作ってた時もありました。

値段は確かに安い。

けれど水に浸けておくと、木が膨張して割れたりして。

それに比べると岐阜県産ヒノキは、とても丈夫。割れた話をほとんど聞きません。

 

もっとこうしたいなということはありますか?

いつもありますね。今は漆の強度が気になっているんです。

箸ってのは、口にはいるものやし安全が第一と思うので、

100%天然の自然な物でやりたいというのがずっとあります。

今一番やりたくて進めていることですね。

形もいつも試行錯誤しながら工夫しとるんですがね。

気違いやもんで一つやり始めるととことんまでやってまうんですよね。

人を頼ればってよく言われるんですけど、全部自分でやってまわんと気が済まなくて。

そうすると失敗したときにどう対処するべきか、すぐにわかる。

その方が性にあってるんですよ。本当にたくさんやっても、すべてが失敗って感じですよ(笑)

実はうちのじいちゃんが『こういう発明っていうのは99%の努力、1%の霊感や』って言ってたんですけど。

 

1%のひらめきって言うと自分だけのチカラって感じがしますけど、

1%の霊感って言われると謙虚な感じで、自分以外の誰かに後ろを押されている気がします。

そう。諸行無常とか、終始一貫とかもよく言ってましたけど、

やるなら最初から最後まで一貫して自分でやれと。

このじいちゃんの言葉がやっぱり自分の中でずっと記憶に残ってて、僕の職人としての教えになってるのかもしれませんね。

 

次々に新しい物に挑戦されるのは、凄いことですね。

お恥ずかしいですけど、自分でもまだまだって思ってやっています。

終始自分でっていうスタンスは変わらずに、これからもやれるだけのことはやるぞって意気込みだけは、とにかくあって。

 

飛騨で生まれて森との共生を考えながら、自分にできることを精一杯やりぬこうとしている東さん。

「いい材は年数をかけないと育たない」と言うその眼差しが、まさに職人の心意気。

つまり、食卓に置かれた箸一膳が、森や職人を守ることに繋がる。

そう思い、わたしは今日も心して食事をいただくのだ。

(取材・文/釜谷 保徳)